彦松志朗の日記

ピアノへの思いと、日々のモヤモヤに対する考察

失われつつある記憶

親の物忘れが、この半年ほどで甚だ酷くなってきた。思い起こせば10年ほど前から親との会話に違和感を覚えることがあった。 しかしながら、それは100回に1回程度のことであり、漠然とした不安を抱えながらも、気にしないふりをしてこれまで過ごしてきた。 と…

大嫌いで大嫌いでとにかく大嫌いな言葉

この世の中に、人を蔑む嫌な言葉は数多くあるが、その中でも「やって当然、できて当たり前」という言葉は本当に嫌な言葉だ。一体何が当然なのと思う。できるようになるまでにそれなりの苦労があるわけだし、時間と寿命を費やしている。そういう言葉を相手に…

体調不良が続いている。

ここのところ、体調が良くなくて、ピアノに向かう気力も湧かない日が続いていた。これまで、体調不良が続くなんてインフルエンザに罹患したときぐらいだったのだが、いわゆる男の更年期というものなんだろうか。寝ても疲れが抜けず、体が重い。体調不良に連…

薔薇の前にはモヤモヤも霧散する。

日曜日ということもあり、明日からの仕事を思うと朝から気が重かった。ただ、天気が良かったのが救いだった。風も気持ち良かった。洗濯物を外に干して、家庭菜園の草むしりをしてみた。生い茂っているスギナをむしり、掘り返した土の香りを嗅ぎながら、人は…

週末を全力で過ごす。

仕事が超絶につまらない。だから、仕事から解放される週末は一分一秒を全力で過ごしている。庭の草むしりなんて後回しにする。ピアノを弾く時間、テレビや漫画を見る時間、ダラダラしている時間、自分でコントロールできる時間全てを大切にして、寝る寸前ま…

仕事が超絶つまらない

ここ数年、いや、社会人になってから一度も仕事を楽しいと思ったことがない。 バブル経済崩壊後に苦労して働いていた両親を間近に見て、そして自分自身も就職氷河期世代ということもあり、定職があって、毎月決まった給料をもらえることはありがたいことだと…

今朝の出来事

今朝、子どもに逆ギレされた。テレビを見ていた子どもに、学校に行く準備をしなさいと注意を促したところ、「きちんと準備をしている。テレビを見ながら朝食のおにぎりを食べている。」と怒りながら言い返された。ちなみに、我が家はテレビを見ながらの食事…

バッハ沼から脱け出せない

バッハは弾いていて面白い。弾けるようになるまで、ものすごくゆっくりと何度も何度も繰り返し練習をするのだが、それが徐々に弾けるようになってくる。 楽しさは不思議さと隣り合わせなんだと思う。あんなに四苦八苦していた指遣いが、徐々に何でもないよう…

どうしてもやりたくない仕事について

自分の担当している業務で、どうしてもやりたくないものがある。なぜやりたくないのか。それは無意味だからの一言に尽きる。 勤め人である以上、仕事と人間関係は選べない。とはいえ、この業務は断ればよかったと思っている。どう考えてもやる必要性がないの…

離れていくのではなく取り残されていく

娘が一人でお風呂に入るといって、それ以後ずっと一人で風呂に入っている。小学校低学年である。 いずれはそういうときが来るとは思っていたが、こんなにも早くそのときが訪れるとは思ってもいなかった。 だからといって、特に寂しさのようなものはないのだ…

「こだわれない」という話

「こだわりがない」のではない。 「こだわれない」のである。 こだわれなくなったと感じたこと。それは、大好きなコーヒーがきっかけだった。以前は行きつけの店で豆を挽いてもらって、それをコーヒーメーカで淹れて飲んでいた。それが今は、近所のスーパー…

リパッティとの出会い

ディヌ・リパッティというピアニストの存在を知ったのは今から20年ほど前のことである。「主よ、人の望みの喜びよ」のピアノ曲を探していたときに、セール品で見つけたのがリパッティのCDだった。 リパッティの演奏を聴いて思うこと。それは、ピアノを弾くた…

ピアノが我が家にやってきた日

物心ついた頃からピアノが好きだった。ピアノを両手で弾けるようになりたい。そのためにピアノ教室に通いたい。子どもの頃、強く思っていた。 幼稚園児のとき、思いきって母親にピアノ教室に通いたいと言ったことがある。「ピアノではなくて、そろばんをやり…