彦松志朗の日記

ピアノへの思いと、日々のモヤモヤに対する考察

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

今朝の出来事

今朝、子どもに逆ギレされた。テレビを見ていた子どもに、学校に行く準備をしなさいと注意を促したところ、「きちんと準備をしている。テレビを見ながら朝食のおにぎりを食べている。」と怒りながら言い返された。ちなみに、我が家はテレビを見ながらの食事…

バッハ沼から脱け出せない

バッハは弾いていて面白い。弾けるようになるまで、ものすごくゆっくりと何度も何度も繰り返し練習をするのだが、それが徐々に弾けるようになってくる。 楽しさは不思議さと隣り合わせなんだと思う。あんなに四苦八苦していた指遣いが、徐々に何でもないよう…

どうしてもやりたくない仕事について

自分の担当している業務で、どうしてもやりたくないものがある。なぜやりたくないのか。それは無意味だからの一言に尽きる。 勤め人である以上、仕事と人間関係は選べない。とはいえ、この業務は断ればよかったと思っている。どう考えてもやる必要性がないの…

離れていくのではなく取り残されていく

娘が一人でお風呂に入るといって、それ以後ずっと一人で風呂に入っている。小学校低学年である。 いずれはそういうときが来るとは思っていたが、こんなにも早くそのときが訪れるとは思ってもいなかった。 だからといって、特に寂しさのようなものはないのだ…

「こだわれない」という話

「こだわりがない」のではない。 「こだわれない」のである。 こだわれなくなったと感じたこと。それは、大好きなコーヒーがきっかけだった。以前は行きつけの店で豆を挽いてもらって、それをコーヒーメーカで淹れて飲んでいた。それが今は、近所のスーパー…

リパッティとの出会い

ディヌ・リパッティというピアニストの存在を知ったのは今から20年ほど前のことである。「主よ、人の望みの喜びよ」のピアノ曲を探していたときに、セール品で見つけたのがリパッティのCDだった。 リパッティの演奏を聴いて思うこと。それは、ピアノを弾くた…

ピアノが我が家にやってきた日

物心ついた頃からピアノが好きだった。ピアノを両手で弾けるようになりたい。そのためにピアノ教室に通いたい。子どもの頃、強く思っていた。 幼稚園児のとき、思いきって母親にピアノ教室に通いたいと言ったことがある。「ピアノではなくて、そろばんをやり…