彦松志朗の日記

ピアノへの思いと、日々のモヤモヤに対する考察

今朝の出来事

今朝、子どもに逆ギレされた。
テレビを見ていた子どもに、学校に行く準備をしなさいと注意を促したところ、「きちんと準備をしている。テレビを見ながら朝食のおにぎりを食べている。」と怒りながら言い返された。ちなみに、我が家はテレビを見ながらの食事は何の問題もない。

 

言い返されたとき、少々戸惑った。ちょっとした注意で逆ギレされるとは思っていなかった。それは、子どもがまだまだ親を必要とする年齢だから、言われたことに対して言い返したりしないだろうという慢心もあったのだ。それが、もっともな理由で言い返してきた。状況をよく確認せずに、注意した自分が悪かったのだが、そこに、子どもの成長と同時に子どもが親から離れていく距離感をはっきりと感じたのだ。

 

その後は、子どもに正当な理由で言い返されたのが、照れくさいような、恥ずかしいやらで、それを隠すために笑ってごまかした。子どもの成長と共に父親は情けない存在になっていくということも認識した。

 

子どもを叱った後によく妻が「お父さんも注意してよ。」という気持ちが理解できたような気がする。自分の気持ちが置き去りにされたような気がするのだ。そして、その気持ちをどこかに預けたいのだ。さらに預けるとともに共有したいのだ。だから、第三者に預け先を求めようとする。今朝の自分はそうだった。妻に、子どもに叱られちゃったよと報告せずにはいられなかった。妻も同じ場所にいて一連のやり取りを見ていたにもかかわらず。