彦松志朗の日記

ピアノへの思いと、日々のモヤモヤに対する考察

大嫌いで大嫌いでとにかく大嫌いな言葉

この世の中に、人を蔑む嫌な言葉は数多くあるが、その中でも「やって当然、できて当たり前」という言葉は本当に嫌な言葉だ。一体何が当然なのと思う。できるようになるまでにそれなりの苦労があるわけだし、時間と寿命を費やしている。そういう言葉を相手に言うことで、優位に立とうとしているのだろうか。費用を値切ろうとしているのだろうか。

 

この言葉は、成し遂げた人間の努力をないものにし、言った人間を勝者にする

 

でも、かつて俺もこの言葉を多用に使っていた。親にも妻にも子どもにも、そして、自分自身にも。親なんだから子どもを育てて当たり前、妻なんだから夫の意見を受け入れて当たり前、子どもなんだから親の言うことを聞いて当たり前、そして、これくらいの業務量をこなして当たり前、休日返上して仕事を優先するのは当たり前。

 

今、振り返ると本当に無機質な時間を過ごしていた。何かをしてもらっても、評価せずそれと同時に自分も評価されない。やったことに対しての苦労だけが蓄積される。

 

何を機会に考えを改めたのか。それは、自分自身が相手から、「やって当然、できて当たり前」という対応を、立て続けに、それこそ当然のように受けたとき。ものすごく苦労をして、グレーを白にすべく様々な調整をして、ようやく結果を出した時に、結果だけを当然のごとく持ち去り、感謝の言葉ひとつもなかったとき。この時、この言葉の残酷さを重い知った。受けとる側にとっては、非常に都合の言い言葉だが、当事者には何も残さない。

 

だからそれ以来、俺はこの言葉を使わない。些細なことであれ、自分のためにしてもらったことには感謝の言葉を伝えるように心がけている。何かをしてもらうということは、その人の時間だけでなく寿命も消費しているのだから。