彦松志朗の日記

ピアノへの思いと、日々のモヤモヤに対する考察

ピアノが我が家にやってきた日

物心ついた頃からピアノが好きだった。ピアノを両手で弾けるようになりたい。そのためにピアノ教室に通いたい。子どもの頃、強く思っていた。

 

幼稚園児のとき、思いきって母親にピアノ教室に通いたいと言ったことがある。「ピアノではなくて、そろばんをやりなさい。」そう言われて、ピアノ教室に通いたいという願いは却下された。子どもながらに、とてつもなく残念な気持ちになったことを記憶している。

 

自分が生まれた今から40年ほど前は、男の子が音楽を習う時代ではなかった。少なくとも、生まれ育った地域ではそうだった。男は読み書きそろばんを習った方が、将来役に立つ。当時はそういう風潮が強かった。それは、子どもの自分にも十分に感じられた。

 

ちなみに、小学校に入学して、そろばん教室に通ったものの、先生が厳しかったことに加え、そろばんに興味を持てず、結局のところ中途半端な級数でやめてしまった。

 

ピアノ教室に通ったのは、社会人になってからだった。ピアノを弾く喜びをようやく実感できた。鍵盤を叩いたときの感触、電気を使わない木の筐体が出す音色、ピアノに関わる何もかもが、楽しかった。その後、結婚して住む地域が変わり、子どもが生まれ、仕事が忙しくなり、ピアノ教室に通うことを止めてしまった。それでも気の向いたときに、ピアノは弾いていた。

 

数年後に、子どもがピアノ教室に通い始めた。それを機に、またピアノを習い始めた。そして、思いきって、中古のグランドピアノを購入した。

 

ピアノが納品されたときは、何だか新たな家族が増えたような不思議な気分だった。そして、納品されたばかりのピアノは、新たな環境に慣れるべく、ゆっくりと呼吸をして、どことなく緊張しているようでもあった。

 

子どもの頃から思い描いていたピアノが、40年の時を経て、我が家にやってきた。あの頃の絶望的なほどに残念な気持ちがようやく解放されたそんな日だった。