彦松志朗の日記

ピアノへの思いと、日々のモヤモヤに対する考察

バッハ沼から脱け出せない

バッハは弾いていて面白い。弾けるようになるまで、ものすごくゆっくりと何度も何度も繰り返し練習をするのだが、それが徐々に弾けるようになってくる。

 

楽しさは不思議さと隣り合わせなんだと思う。あんなに四苦八苦していた指遣いが、徐々に何でもないように弾けてくる楽しさ。そして、自分がピアノを弾けるようになっているという不思議な感覚。

 

ピアノの先生に、「バッハの曲に出てくる三連符は、三位一体を示すもので、特別な音符」ということを教えてもらったが、そんなことを思い浮かべながら、ピアノを弾くこともこれまた楽しい。

 

バッハの他にも弾いてみたい曲はたくさんあるのだが、バッハの楽しさの虜になってしまっていて、なかなか他には移れそうにない。

どうしてもやりたくない仕事について

自分の担当している業務で、どうしてもやりたくないものがある。なぜやりたくないのか。それは無意味だからの一言に尽きる。

 

勤め人である以上、仕事と人間関係は選べない。とはいえ、この業務は断ればよかったと思っている。どう考えてもやる必要性がないので、腰が重くなる。そして、月日だけが過ぎていく。そして、ますます手をつけにくくなる。

 

そもそもどうして働かないと生活できないのだろう。40歳を過ぎて、こんなことを真面目に考えている。好きなことをやって、自分の思い描く生き方をしたいのに、現実問題として勤労という行為を通じて生活の糧を得なければならない。しかも人生の大半を労働に費やす。

 

我々人間は死ぬまで消費行動をしなければならず、そのためには現在のところ金銭収入を得なければならない。仕事を定年まで勤めあげたらその後は年金で消費行動を継続する。でも、それって正常な生き方なのだろうか。自分の時間の大半を、自分の場合は、意味の見いだせない仕事に時間を費やし、それで得た収入で生活をする。生きるために無意味な仕事に時間を費やす。もしくは誰かの満足のために自分の時間を犠牲にする。忘れがちであるが、時間を費やすことと、寿命を縮めることは同じである。

 

時は金なりではない。時は命なのだ。だからこそ、自分の納得の行く時間の使い方をしたい。だからこそ、やりたくないことはやらなくてもいい、そんな時代が今すぐに到来してほしい。

離れていくのではなく取り残されていく

娘が一人でお風呂に入るといって、それ以後ずっと一人で風呂に入っている。小学校低学年である。

 

いずれはそういうときが来るとは思っていたが、こんなにも早くそのときが訪れるとは思ってもいなかった。

 

だからといって、特に寂しさのようなものはないのだが、何とも漠然とした心のざわつきがあって、それは何かと考えてみた。

 

それは、自分の知らないところで、自分の知らないうちに成長していく子どもに対する焦りだという結論に至った。子どもが成長するということは、自分が取り残されていくということなのだ。つまり、成長とともにどんどん先に行ってしまう子どもに対する焦りということになる。そして、取り残された距離はどうあがいても追い付くことなどできない。そもそもが同じ道筋をたどっていないのだから。

 

 

 

 

 

 

「こだわれない」という話

「こだわりがない」のではない。

「こだわれない」のである。

 

こだわれなくなったと感じたこと。それは、大好きなコーヒーがきっかけだった。以前は行きつけの店で豆を挽いてもらって、それをコーヒーメーカで淹れて飲んでいた。それが今は、近所のスーパーで買って来た徳用ドリップバッグで済ませている。正直なところ、ドリップバッグで淹れるコーヒーは楽である。飲み終えた後の洗いものもマグカップだけでよい。

 

ここで言いたいこと。それは、こだわりを捨てて、スーパーの廉価なコーヒーを買うことが生活の質を落としているということではない。むしろその逆なのである。自分なりにこだわりを持って行う行為も、面倒くさくて工程を省いた行為も、この場合において結果はほぼ同じなのである。ドリップバッグのコーヒーとコーヒーメーカで淹れるコーヒーの満足度は変わらないのである。

 

コーヒーの件はほんの一例だが、つまるところ、手間と時間をかけなくても、それなりに満足のいく生活をいつの間にか送ることのできる世の中になっていたのである。

 

世の中は質の向上に収斂していく。このことは、こだわるという行為に希少価値をもたらすことになるだろう。

 

リパッティとの出会い

ディヌ・リパッティというピアニストの存在を知ったのは今から20年ほど前のことである。「主よ、人の望みの喜びよ」のピアノ曲を探していたときに、セール品で見つけたのがリパッティのCDだった。

 

リパッティの演奏を聴いて思うこと。それは、ピアノを弾くためにこの世に生を受けたに違いないということだ。当時の録音状況の影響なのかもしれないが、ピアノをあまり響かせず、しかしながら、ピアノ本来の素朴で優しい音色を最大限に引き出す演奏をしている。きっと、演奏家自信も優しい気持ちの持ち主で、ピアノを弾くことに喜びを感じているんだろうなということが伝わる演奏である。

 

当時買ったリパッティのCDはかなり前に古本と一緒にリサイクル店に売ってしまった。後になって、リパッティのCDを手放したことを悔やんだが、その時は少しでもお金が必要だったので仕方がなかった。

 

最近になって、リパッティの演奏を聴きたくなり、つい先日「ブザンソン音楽祭リサイタル」のCDを買った。最初に聴いたときと変わらない、素朴で優しくて、それでいてきれいな水で研ぎ澄まされたような演奏だった。

 

特に、収録されているワルツ嬰ハ短調はこれまでに聴いた中で、まさに珠玉と言える演奏だった。このCDはこの先も手放すことなく持っていよう。

 

 

 

ピアノが我が家にやってきた日

物心ついた頃からピアノが好きだった。ピアノを両手で弾けるようになりたい。そのためにピアノ教室に通いたい。子どもの頃、強く思っていた。

 

幼稚園児のとき、思いきって母親にピアノ教室に通いたいと言ったことがある。「ピアノではなくて、そろばんをやりなさい。」そう言われて、ピアノ教室に通いたいという願いは却下された。子どもながらに、とてつもなく残念な気持ちになったことを記憶している。

 

自分が生まれた今から40年ほど前は、男の子が音楽を習う時代ではなかった。少なくとも、生まれ育った地域ではそうだった。男は読み書きそろばんを習った方が、将来役に立つ。当時はそういう風潮が強かった。それは、子どもの自分にも十分に感じられた。

 

ちなみに、小学校に入学して、そろばん教室に通ったものの、先生が厳しかったことに加え、そろばんに興味を持てず、結局のところ中途半端な級数でやめてしまった。

 

ピアノ教室に通ったのは、社会人になってからだった。ピアノを弾く喜びをようやく実感できた。鍵盤を叩いたときの感触、電気を使わない木の筐体が出す音色、ピアノに関わる何もかもが、楽しかった。その後、結婚して住む地域が変わり、子どもが生まれ、仕事が忙しくなり、ピアノ教室に通うことを止めてしまった。それでも気の向いたときに、ピアノは弾いていた。

 

数年後に、子どもがピアノ教室に通い始めた。それを機に、またピアノを習い始めた。そして、思いきって、中古のグランドピアノを購入した。

 

ピアノが納品されたときは、何だか新たな家族が増えたような不思議な気分だった。そして、納品されたばかりのピアノは、新たな環境に慣れるべく、ゆっくりと呼吸をして、どことなく緊張しているようでもあった。

 

子どもの頃から思い描いていたピアノが、40年の時を経て、我が家にやってきた。あの頃の絶望的なほどに残念な気持ちがようやく解放されたそんな日だった。